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板井優弁護士と中島煕八郎先生の2018新春対談

暮らしと自治2018年1月号に掲載された当事務所所長板井優弁護士と煕八郎先生の新春対談の記事から引用しました。


中島煕八郎先生(左)と板井優弁護士

 

安倍政権の支配はだんだん崩れてきている

 

中島:新年明けましておめでとうございます。
昨年10月の衆議院選挙では沖縄4区で自民党が当選しました。しかし、あとの選挙区では前回と同じようにオール沖縄で勝つことができました。前回との比較でどのように見られているかという辺りからお話をいただければと思います。

板井:私は基本的には変わってないと思います。沖縄と言っても沖縄戦が行われたのは沖縄本島なのです。いわゆる先島(衆院選4区に属す)というか、他の地域というのはほとんど戦闘はないのです。もう一つは沖縄戦が現実にあったのは、本島中部と南部と本部(もとぶ)半島、伊江島です。辺野古新基地あたりでは戦闘が行われてないのです。

中島:戦争の悲惨な体験ということからすれば、だいぶ違うということですね。

板井:そうだと思います。

中島:前回は、自民党が九州沖縄の比例区で3人確保しました。今回全滅です。その辺りの自民党の考え方ってどういうふうに変化したのでしょうか。

板井:私は自民党は一枚岩と思っていません。要するに安倍政権が主導する自民党というのは、選挙の前にはほとんど実体をなしてなかったんではないかと思うのですね。

中島:ともすれば、安倍政権打倒で安倍政権は一枚岩だと考えがちですけれども、そうではないという状況が生まれてきていることですか。

板井:私は総選挙の前から、安倍政権の支配というのはだんだん崩れてきている、ということじゃないかと思っています。

 

 安保を沖縄に押し付けることが正しいのか

中島:前回の参議院選挙、首長選挙では割合い沖縄的な共闘が成立していて、その前段の参議院の時は統一で、糸数慶子さんを当選させたとか、その辺りから今回の衆議院選挙との間に、地元の様々な勢力がどのような化学反応を遂げてきたのかという事については如何でしょう。

板井:かつて沖縄県知事をしていた大田昌秀さんは沖縄師範の出身で鉄血勤皇隊に入り学生として沖縄戦に参加をした人で、米軍の捕虜になった。
大田さんの副知事に吉元政矩さんという沖縄の一番南の与那国島の出身の方がいました。この人が、安保の負担を沖縄県民だけが背負うのはおかしい、すべての日本人がまずそのこと考えるべきだ、そのことを前提に安保の問題を考えないと、安保を沖縄に押し付けることが正しいのか、と言って、それを大田さんが支持をしたと聞いています。沖縄の保守関係者の中では元々戦争に反対する人はいっぱいいるわけです。
ところが安保との関係をどう考えるかという問題があるのです。1995年に少女暴行事件というのがあって、この時に後に沖縄県知事知事になった稲嶺さんが、財界からその当時の県民集会の実行委員の中に入るわけです。そういう動きが安保を国民みんなで現実に感じよう、考えようという動きになっていったわけですよ。稲嶺さんという人は、アメリカの良識派の人たちと付き合いがある人です。
しかし、大田さんの選んだ吉元副知事は県議会で承認を拒否されます。その時に、沖縄の自由法曹団の新里恵二さんたちがこれは間違っていると正面から意見書を書いた。しかし、時すでに遅しで、吉元さんは完全に切られちゃったわけですね。
安保をどう考えるかという事が、実は沖縄問題の根幹にあるわけで、戦争被害を捉えるというのはひとつの考え方なんだけれども、しかし、それがあったとしても具体的にどうするんだってことになるから、現実的には安保を選択しなければいけないと、それが当時の沖縄の自民党だったのです。
結局、沖縄戦の悲惨さということもさることながら、安保の問題をどう考えるのか、ということがキーワードだと思います。

中島:吉元さんの論理というのは、翁長雄志沖縄県知事が安保条約を否定しないが、辺野古新基地は作らせないということと、基本は共通してるんですね。

板井:戦後、米軍が住民を全部捕虜収容所に入れて好き勝手に基地を作ったわけです。日本本土に侵攻するために沖縄本島を全部軍事基地化したわけです。それが安保条約という問題になって、沖縄の中の保守層は、抗しがたいと、ではどうしようかということになりました。吉元さんの論理が沖縄ではだんだん多数派になって、その多数派になっていく過程で、保守層の中のリベラルな人たちを巻き込んだというのが実際なんだと思います。

中島:今の話で思うのは、いわゆるや大和人(やまとんちゅ)はどこかで、米軍基地は沖縄にほとんどあるから、うちの負担は少なくて済んでいる、お金出して押し付けておけばいいやというような気分がどこかにあると思うんですよね。その反対に沖縄からすれば、そんな状態で基地をずっと押し付けられ続けるというのは、保守革新関係なく腹立ちますよね。

 

 軍事基地よりその跡地開発に経済効果

板井:少なくとも沖縄の保守層はそういうふうに思ったのでしょうね。そういう大田さん、吉元さん達が掲げた考え方に共感を覚えて、当時、軍事基地を撤去して民間がそれを開発すれば、軍事基地よりも経済的効果があると、具体的に言うと基地労働者が一桁のところが、民間で開発すれば雇用が100名以上になったと。当時、沖縄の軍用地主というのは偏在していました。確かに、一時期そこが主な現金収入になった。「むぬきーしどわがうーす」といって、ものをくれる人が私の主人だという考え方があったと思います。瀬長さん達は土地闘争を1950年代にやって、それを通じて軍用地主層というのが出来た。軍用地主が当時依拠したのは米軍ですよね。だから米軍が自分たちの主人だと。
それに対して、当時の沖縄のマスコミは、ものをくれるのが主人だという考え方は間違っているというふうに批判をして、それから祖国復帰運動になって、沖縄返還後軍事基地の一部が撤去されると、そこは民間で開発されて経済的な利益を上げる、それから安保の問題、この2つが沖縄の保守層を動かしたのだろうと思います。
大田県政は安保は当然として地位協定が不平等じゃないかという議論をして、その辺のところが一つ沖縄の時代を変える大きな力になったのかなと。

中島:日本全体の経済構造が変わってきて、軍用地の時代ではなく、ほかに経済活動の可能性が広がってきていて、それに軍用跡地を利用すればもっとたくさん経済効果が上がって、その波及の範囲が広がるという関係になったということですか。

板井:沖縄の財界人というのは、観光開発をすればいいんじゃないか、基地よりもそちらの方が儲かるんじゃないか。また沖縄県民の雇用が増えるから、そっちの方がいいんじゃないかという、そういう発想で。だから、安保条約がどうのこうのとかそういう議論をしている訳じゃないので、そこはちょっと誤解しているんじゃないかと思っています。自分たちの生活を前提にして、そこをどうしていこうかという極めて現実的な考え方をしているわけです。

中島:どちらかというと正常ですよね。

 

 海兵隊が沖縄に増えたのは朝鮮戦争後

板井:実際、今一番騒わがしている海兵隊・マリーンが沖縄に来出したのは、沖縄戦の後なんですよね。朝鮮戦争が終わってから、当初日本本土にいた海兵隊は、朝鮮から引き上げる時に沖縄に行くというパターンが出来る。海兵隊はどこでも突っ込んでいくわけですね。こうして海兵隊が沖縄の中でかなり増えた。
米軍は対日戦争に勝ったけれどもそれからしばらくは目標がなくなったわけで、1949年10月1日に中華人民共和国ができ、問題は沖縄はどうすべきなのかということになって、戦略目標を南側の方に置いたというだけです。

中島:そういえばそうですよね。朝鮮半島にも近いし、中国本土にも近いですね。

板井:沖縄の情勢を見る時に、誰だって戦争を望んでいる人はいないと思います。

中島:私も戦争を本気でするというよりも、武器を売ることで新しい産業を作ろうとしてるんだろうとしか思ってないんですけどね。

板井:そういう意味では、その辺まで視野を広げてどうやって多数派形成をするかというふうに考えていかないといけない思います。

中島:これまでの沖縄の辿った変化の過程に戻って整理していくと、参議院からはじまってオール沖縄になって衆議院選挙でそこまで幅が広がって、ということはもしも基地の不公平を改善して、跡地を活用して経済発展をしたいという、そういう考え方を支持する人たちが保守の中で増えていったということですか。

板井:そうだと思います。
いつか辛島公園の話をしましたけれども、熊本は日本で言えば、明治の頃から軍都言われるようになったわけです。しかし、それを辛島格(いたる)さんという明治の終わりから大正にかけての熊本市長が、軍(6師団)を追い出して新市街などを開発して民間需要を増やすという、その功績で辛島公園ができたわけです。

 

 祖国復帰運動は平和の実現を求めるもの

中島:オール沖縄を形成する保守も革新も含めた人たちにとっての安保というのはそれぞれ違う捉え方をしていると考えと方がいいんですか。

板井:それはものすごく難しい問題で、なぜ難しいのかというと、確かに日本国憲法の前文は、諸国民の公正と信義にして信頼して平和を維持するとなっているのですが、果たしてそうなんだろうかと。究極的にわけのわからない者が侵略してきたらどうするのかと、それもひとつの議論で、その結論はなかなか出し難い。例えばスイスは永世中立と言っているけれども、スイスはかなり強力な軍隊を持っているし、それを軍事的に他の国と一緒にならないということを言っているだけで、それがスイスを守る基本だというわけだから、果たして本当に軍事力をなくしていいのかという議論もないわけではない。それは何とも言い難い。そこを究極までやろうとすると非常に難しい。

中島:実際上は自衛隊という軍隊は存在しているし、徐々に増強されているという現実があって、それについては国民はそれほど強力な拒否反応を示してませんね。

板井:現実に戦争してないからでしょう。戦争をやればまた別の議論になって行くと思う。沖縄の中で一つは復帰するまでの無法状態の中でどうするのか、やっぱり団結して闘わなければ勝てない、確かにそこはおそらく瀬長亀次郎さんあたりが教えたんだろうと思う。しかしそれだけでは抜けないので、祖国復帰運動というのは、いわゆる復帰じゃなくしてどういうふうにしたら平和を実現できるのかという、私たちは高校生の頃そういう議論をした。結局は、平和憲法のある日本に帰ろうという、そういうふうな捉え方をしたんで、祖国復帰運動は正当性を持ち得たのです。

 

 自民党の中にもある米軍追随への反発

中島:その当時としては、アメリカの占領下の言ってみれば無法地帯というところから比べれば、本土の日本国憲法はまだ希望が持てるという、そういう感覚ですか。

板井:いやもうひとつは、この感覚はたぶんわからんと思うけれども、アメリカは本当に沖縄を馬鹿にしていた。沖縄人(うちなんちゅ)をね。アメリカは沖縄人(うちなんちゅ)は人だと思ってない。そこが軍事占領下でのみんなの思いでしょう。沖縄の保守層だってみんなそう思っているんじゃない。沖縄で自民党が分裂したのは2回目です。復帰協ができる1960年ちょっと過ぎた頃に、当時、大田政作さんという琉球政府主席がいて、他方米軍にはキャラウェイという高等弁務官がいて、キャラウェイというのが沖縄だけじゃなくて日本が大嫌いで、ビザを出さないとかするすごい人で、大田政作さんはそれに従っていたわけです。ちょうどその頃が1960年、ベトナム戦争が始まった頃で、沖縄の自民党も分裂して、そういう時、当時の立法院議員の議長、今で言う県議会の自民党選出の議長までが脱党して、自民党が少数派になった。結局キャラウェイも更迭されて大田政作さんも辞めた。大田政作さんは台湾の澎湖(ほうこ)諸島の長官をしていたので、言ってみれば植民地支配のプロとして沖縄に呼ばれた人でしょうね。そして琉球政府の主席になったのですが、あまりにもアメリカに尻尾を振り過ぎた。
そういう昔の歴史があるから、自民党の中にも、当時は米軍にくっついていく奴に対してはものすごく反発があった。今度も安倍首相が無批判にアメリカに従うから、それがおもしろくないんでしょう。

中島:そういう感覚というのは保守革新関係なく、基礎的に沖縄にあるということですね。

板井:私は本土でもあると思う。

中島:それは大事な点ですね。

 

地方自治というのは本当は権力分立という考え方

板井:現在の日本国憲法というのはアメリカからすると日本の軍国主義者に日本を握らせないということで、一つの仕組みとして作ったものですよね。その中に地方自治制度があると、地方自治というのは本当は権力分立という形の考え方なんですね。戦前・戦中は地方自治なかった。県知事も含めてみんなで中央政府が任命したんですよね。今は選挙になっているけれども、それ以外の局長・部長クラスは全部中央省庁から来ている。
潮谷義子前熊本県知事と川辺川ダムのことで意見交換をしている時に、熊本県で何とか対策をしなければと、たたき上げだけかき集めたらわずか何名かしかいなかったという話を聞いた。

中島:そういうことなんですね。

板井:地方自治の現状はどうなってるかと言ったら、非常に簡単なことです。

中島:今でも、中央省庁からのキャリア組が、県庁とかでも主要なポストを占めているという状況は一般的にも言われていますけれども、沖縄の場合も同じですか。

板井:同じだと思いますよ。

中島: 地方自治の話が出てきましたが、憲法で保障された地方自治の中で、沖縄との関係で言うと、公有水面埋め立ての許可、港湾の管理の権限は知事にあり、国ではないですよね。辺野古の海を埋め立てて軍事基地をつくるとか港湾だって軍艦を入れることについて知事が拒否をできるわけですよね。今それを中央省庁が押し潰してるわけですよね。前県知事の仲井眞さんが承認してしまったので、それが不適法であるという事で裁判したら、裁判所は適法だと言って一切顧みない。これは実質的にも、形式的にも地方自治の否定しているんだと思うんですけれども、その辺はどうですか。

板井:問題は、地方自治というが独立じゃないんだよね。独立という概念とは違う内容です。地方のことは地方が決める。ただ問題は全国的に共通する課題をどうしますかという問題ですが、仲井眞前知事はこれを承認した。。

中島:私が問題にしたのは、本来知事が持っている権限を国が押し潰してるわけでしょ。沖縄の場合は、非常にあからさまにやっているので、それに反対する議論があまり起こってないのが不思議だなと思っています。

板井:地方自治の基本的な考え方は、その地方のことはその地方に任せようということであって、全国的な共通の課題をその地方に任せるのかという考えとはちょっと違うんで、そこはおのずから考え方が違うとこだから、ではどこからどこまでがどうなのかという捉え方をした場合に、独立と自治は基本的に違うんだよね。本当に画一的には言いづらいところがあるね。例えばこういう法律がありますよね。今はなくなったかな。要するに地方自治体の長が国の方針に反対した場合に、国はその行政を直接やることができるという、そういう法律があるんですね。
それは地方自治を否定しているのではなくして、全体的な国が関与する政策というのは国が行うべきだというところで、どこからどこまでどういうふうにして分けるのかという議論はなかなか難しいと思います。
結局はその場合に地方自治体の長が圧倒的市民に支持されていて、何回選挙しても勝てるという条件であれば、国の方が折れる可能性は高いですね。折れるかあるいはその法律を使って権限を吸い上げてしまうかということになる。

中島:それは大田知事の時代でしたか、「象の檻」の話がありましたよね。あの時は安保最優先で、超法規的措置ということで知事に代行して国がやるということをやりましてよね。安保とか、日本を守るという大義名分は国が責任を持つから、どういう立場で代行することができるという法律を適用しているわけですか。

板井:考え方をね。法律を適用するんじゃなくて。あの法律が知事が従わなかった場合の議論なんだよね。

 

 非常に高い「平和的な経済」への意識

中島:その抵抗さえしない自治体が多い中では沖縄は抵抗したわけで、そういう意味では自治の意識が高いのかなと思ってたのですが。

板井:ある特定の分野について、今言ったように、戦争との関係で一定の判断をすると。経済そのものを軍事化させないと、平和的な経済にするんだという、そういうふうなことについて非常に意識が高いし、そういうふうなことをずっと進めるべきだということで、多くの人たちがそれを支持すると、そういうことはあると思いますよ。

中島:今経済の話が出ましたけれども、戦後、軍事基地の地主にお金が出るという、それから基地で働く労働者の雇用、それがその当時は相当沖縄経済を支える上で大きなウェイトを占めていたのが、産業構造が変わってそのウエイトが下がってきて、そういう経済的な構造変化の中で、もう軍事基地は金にもならんし邪魔にしか過ぎない、という世論に大きく変わってきているということがあるんでしょうか。

板井:沖縄にとっては軍事基地は必要ないと言っているだけですね。

中島:そんな中でも、アメリカ軍基地が辺野古も含めてそのまま存在し、拡大強化されることについて支持する層というのは沖縄にはまだあるということですか。
板井:あると思いますよ。それはアメリカと日本の一つの政策じゃないの。協力するものには金を出すし、そういう形で選別しているんだろうと思うけど。

中島:アメリカなんかがちゃんと手を打って、そういう人を飼っているわけですか。

板井:と思いますけれども。

 

 平和的の中に一番占めているのが観光

中島: おわりになってきましたので、将来の話に行きたいと思います。今のオール沖縄の取り組みというのは、表面的に言うと、辺野古新基地を許さんという話ばかりになっていますけれども、それも含めてこれから先、何を目標に力をため前進するのか。その時の獲得目標というのはどんなことだとお考えですか。

板井:それは沖縄の中でも意見が分かれているんじゃないかな。確かな事は、経済を軍事化じゃなくて平和的にやるということ、それが一番でしょうね。平和的の中に一番占めているのが観光という問題ですよね。この2つは中心でいきましょうと。これが実現するかどうかという問題はなかなか難しいけれど、何が難しいかというと、私が1995年か6年ぐらいに書いた文章に、むしろアメリカの方が安保の全国化について正面から考えていると。だから今、オスプレイをぼんぼん各地に配置するでしょ。あれはそういうことなんだよね。彼らにとっても沖縄だけに置くことは矛盾が大きすぎると、リスクが大きすぎるからもう少し散らした方がいいのではないかと思っていることは間違いないんだろうと思う。

中島:観光という点で関係するんですけれども、沖縄に行く度に台湾の人とか外国の人が仕事をしているのが増えていますよね。それは問題視というよりも、本土と若干違うのではないかと、沖縄の人は「商売するんだったら誰でもいいよ」というような許容力があるのかなと思って見てたんですけれども。

板井:あれは、戦後すぐは台湾と沖縄で仲良くしていたらしい。

中島:那覇の公設市場の2階の食堂がこの間行ったら、ほとんど台湾の人に変わっていました。ほとんど台湾の人に変わっていて、料理の中身も変わっていたんでびっくりしたんです。

板井:もともと、国際通りの公設市場の人たちというのはほとんどは戦争未亡人なのです。未亡人の人たちがあそこで働いていたが、高齢で亡くなっていくから、替わりの人というのはなかなかいない。

中島:そういうことですか。今沖縄で基幹産業的なものはやはり観光ですかね。

板井:観光だと思います。

中島:観光についても、今から30数年ぐらい前だったら、全日空ホテルができたり日航のプライベートビーチができたり、日本本土の大資本が土地を買い占めてリゾートホテルを作って、というのが目立ってたんですけれども、沖縄の現地資本というのはそれとの関係ではやはり成長してきていると見ていいんでしょうか。

板井:それは成長したんじゃない。ただ今のを少し訂正しなきゃいかんのは、日本の資本が来たのは日本人を連れて来るための観光だったわけですよね。そこは誤解をしてはいけないところですよ。今、沖縄で言っているのは、東南アジアから人を連れてきて観光をしようという考え方なのです。

中島:沖縄の方がどちらかといえば、日本人だけでなくて、アジアを含めて国際的に取り込むという考え方ですね。

板井:そうそう、そこが全然違う。辺野古についても基地を作るよりホテルを作った方がいいということも言っていました。それで成り立つならそれがいいじゃない。

中島:ちょっと飛びますけれども、最初に沖縄に行ったのは1980年代の後半だったか、小型のリゾートマンションがあちこちに建って、ダンプカーが走り回っていたわけですよ。えらいことになってるなと思ってたんですよね。それがだんだん、そういう荒っぽい開発が消えてきて、言ってみれば開発の熟度が上がってきたのかなという気がするんですけれども、その辺は印象的に言うとどうなんでしょうか。

板井:私は、70年代までは知っているけれども、それ以降は、あの時代は海洋博の時代だよね。あの頃に、沖縄を浮揚させようという声が強くなって、その一環としてやったことなんだろうけども。結局、深刻な環境破壊が伴った。

中島:相当公共投資をやっていましたからね。沖縄で。

 

我々が沖縄からどういうところを学んでいくべきなのか

中島:最後ですけれども、沖縄の人たちが獲得している、様々な要素も飲み込んで「団結して闘う」ことを可能にしているのが、今までの話の中では、アメリカに対する特別な思いであるとか、本土との格差の問題であるとか様々ありました。そこで、地方自治も含めて今の安倍政権に対して団結して闘う上で、本土の我々が沖縄から学んでいくべきところはどんなところだとお考えでしょうか。

板井:例えば、原爆は長崎と広島ですよね。それを解決するだけでも相当大変ですよね。福島は原発事故に遭って、もう何年となるけれどもなかなか解決の糸口は見えない。沖縄もそうだと。解決をするにあたって、私は、それぞれの共通する被害があって、それをきっちり請求していこうという姿勢がいちばん大事ではないかと思っています。それを常に、少なくとも全国化するというのか。そういうことが非常に必要ではないのかなと思っているわけです。
沖縄に学ぶと言うよりも、熊本では水俣病があるわけだし、それぞれの闘いの中で、被害を掴んで離さずに諦めないで訴えていくという、そして勝つためにどうすればいいのかということを、ずっと追求していくっていう事、このことが非常に重要なことでは無いのかな。

中島:それはそうなんですけれど。

板井:この間沖縄で、沖縄戦を体験した人たちがみんな死んじゃったらどうなるのだろうかという話を聞いたことがあります。

中島:日本でも同じことが言えますね。戦争体験、原爆の場合もそうです。

板井:なかなか難しい。私は熊本に来て、水俣とか川辺とかハンセン病とかやったけれども、そこでいちばん考えたのは勝ち癖を身につけないといかんという、負けて当たり前という発想では良くないんじゃないかと思います。

中島:例えば勝ち癖という意味でいうと、沖縄の場合も勝ってきた側面というのは、本土と違いますよね。

板井:それは違うと思いますね。軍用地の問題が一番考え方がはっきりしているんだけれども、沖縄本島の中南部にいる人たちをみんな捕虜収容所に放り込んじゃって、誰もいないところに基地を作ってただで利用する。現実には戦闘は終わっているのでハーグ陸戦法規は根拠にならない。その後、アメリカ側もこの際全部買い上げるという話をしたわけですね。
こうした中で、そこで集まってみんなで一緒に闘わなければいかんということで、それが土地闘争の原点になるわけです。
水俣の闘いだってそうですよ。急性劇症の人たちを主に焦点を当ててやってるけど、あれは間違っていると思っています。被害はそんなもんじゃない。頂点にいる人だけが被害を受けただけじゃなくて、全体が被害を受けている。

中島:今、参議院選挙の時から、野党共闘というのが出てきて、衆議院選挙でそれほど前進できなかった。安倍政権を打倒するのだったら保守まで入れて一緒にやらないと勝てないと思うんです。なぜ野党だけにこだわるのか、もっと先に行くべきではないかと思っているわけですよ。それができているのが沖縄なのではないか。

板井:アメリカ軍という無法状態を続けてきた軍隊との闘いの歴史が今の沖縄を作ってきたと思います。

 

 闘う人の数を増やして闘いの時間を長くする

中島:もう一つ、今のは保守も含めて幅広くいろんな人という話ですけど、自治研で出した『住民自治の時代へ』の中で、川辺川ダム問題とか水俣病問題とかその時のキーワードが住民決定だったです。自治の根源は何かと言うと、法律もさることながら、その地域の人たちが主人公になって自分たちの生活を作り上げていく、そういう権利を行使することが基盤にならないと、自治というのは成立しないと思います。私の感覚では、その考え方と今のオール沖縄で闘ってこられていることがかなり近いのです。「俺の生活どうしてくれるんや」と、それが非常に広がっている、そういう意味で沖縄ではものすごく中身のある自治になっているような気がするんですよ。まだ、本土は自治というと、制度とか法律とかに目が行ってしまって、日頃の闘いが基本であるという感覚にまだなってないという気がするのです。

板井:私はいろんな人がいろんな闘いをどんどんどんどんした方がいいんじゃないかと思います。闘う人の数を増やして闘いの時間を長くする以外に道はない。一つの闘いで世の中が変わるわけじゃない。いろんな人たちがいろんな事をするようにすることが大事なことだと思う。
例えば、阿部広美さんが新しいことに挑戦するわけじゃない。私はとてもあんなことはしきらんけど、でもああいうことが必要なんだよね。いろんな事をして行く人たちが増えるしかないんじゃないかと私は思っているわけです。

中島:長時間にわたってありがとうございました。

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