学校・教育事故における過失相殺
学校や教育現場で発生する事故について、学校側に安全管理に関する過失が認められれば、児童や生徒、学生に生じた損害を賠償する責任が生じます。そのような場合でも、学生側の過失を一定程度認めて、「過失相殺」を行う事案も存在します。
しかし、小学生や中学生などの義務教育の現場では、判断能力が年齢ゆえに伴っていないことが普通で、教員の指示を信頼して動かざるを得ないことから、過失相殺される事例は少ないです。
一方、義務教育を離れて、高校、大学となるにつれて、判断能力がついてくるため、例えば、修学旅行中に立ち入りが禁止されている場所で単独行動を行い、怪我をした場合には、生徒、学生側にも過失が認められて、過失相殺される事案が見受けられます。
学校事故における過失相殺に関しては一応の整理が上記のとおりできますが、福岡地裁令和4年5月17日判決(判例集未登載)は、大学が実施する屋久島でのフィールドワークの授業中、地元では危険と言われていた河川をライフジャケットもつけられずに泳いだ学生が亡くなった事故について、引率教員の責任を認めた上で、次のような判断を下しています。
「(遊泳の)直前に屋久島に到着したばかりの参加学生としては、自身の安全を確保すべく行動するために必要な情報についても、主に引率教員から得ることが想定されていたといえるし、それらの情報を提供する際の引率教員の言動から、情報の意義や重要性を判断していくような状態にあったということができる」
「そうであるにもかかわらず、引率教員は、本件現場指示を含む一連の指示、指導等において、参加学生に対して河川の危険性を的確に伝えることができておらず、その危険性を十分に認識することができなかった可能性があるし、かえってその危険性はさほど大きくないものと誤解した可能性すら否定することができない」として、参加学生の過失相殺を認めませんでした。
この判断は、小学生・中学生と比べても年齢が大人と近い大学生であったとしても、その判断の基礎となる必要な情報が適切に提供されなければ過失相殺の趣旨である損害の公平な分担との観点からして、過失相殺を認めるべきではないとする重要な判断と評価できると思います。